RTA 1976・7・10

路線討論の推進について

一、「組織論討論」の進め方

 昨年初頭に組織論に関する三つの論文を組織討論にふした。「中央収約」「日野論文」(bP・2)及び「三浦論文」の三つである。
 その後中央Gとしては、三浦論文を参考論文とし、日野論文(bP・2)を基軸とした討論を行い、今年一月に一段の収約を行い、それを「一月論文」として討論にふした(一頁右上が余白になった「非合法・非公然組織建設の為に」と題するもの)。これは中央G及び総務委員会として「最終的に確定した中央方針」とする事は出来ないが「討論の基軸」とする事を決めたものであった。
 今回討論にふする五十川論文は、bPが昨年十一月にbQが今年二月に書かれ、「一月論文」とほぼ同時期に流す予定のものであったが中央Gとしての検討が遅れ、今回の提起となった。従って、
  三論文 @「中央収約」A日野論文(bP・2)B「三浦論文」
    ↓
  一月論文(討論を一段収約した基軸論文)
    ↓
  五十川論文
    ↓
  最終的確定
 というプランで組織論に関する討論を進めている事を確認して欲しい。

二、「組織論」をめぐる討論の過程で出ている諸点

(1)「bU」の地平に関して
 一月論文における「bU」の地平の評価について「当時の日共の歴史的総括がなされていない」と批判しているが、これは誤りではないか、という指摘である。民族民主統一戦線の下に戦後第一の革命期をくぐった日共が完全に破産してゆく中で「プロレタリア革命」が日本革命の中で始めて問題になる。このような地平の中で「bU」の問題提起が行われたのであり、この点の判断が「一月論文」は評価を誤っている、との指摘である。
(2)「党の公然面の役割について」
 「一月論文」は非‐非面を強調しているが、労組レベルにおける党の役割という点からみた時、この面に於ける組織論上の方針がハッキリさせられねばならない。歴史的にみれば、山川イズム、福本イズムの論争の我々としての総括である。「行動委―党」の関係が公―非、合―非の関係からも再定立させられねばならぬという問題。
(3)社民内分派闘争について
 現局面の政治過程の分析に伴なう、社共―社公民の分岐の中で、SP内分派闘争の継続的発展の位置と任務について具体的発展が問われている。実践的・具体的方針の提起については「一月論文」でも未だ出し得ていない。また、SP分派闘争として提起されて来たものの中味を路線上発展させる点を明確にすべきである。

三、路線討論全体の計画

 「組織論」討論については以上であるが昨年秋期より、革命戦略論に関しても、「中央論文」、「柴垣論文」の全組織討論をもって開始して来ている。ところで、これら一連の路線討論が、60年代初頭の綱領起草三論文、69年の革労協結成の「宣言」「テーゼ」「規約」に比せらるべき、日本―世界のプロレタリア革命の命迄に決する、解放派の飛躍をかけた、綱領の確定を目的としたそれに外ならぬ事は既に周知の事実である。@組織論A戦略論(含・国家論)B「革命期の労働運動」C「革命期の学生運動」D「被差別プロレタリア運動」E「帝国主義論」
 このうち、A〜Cを8月をめどに提起する予定とし、D〜Eを秋をめどに提起したい。
 現在、綱領としての確定の第一段収約を七七年中とするめどから逆算し、今年8月段階の一連の提起は、それを見据えたものである。項目によっては中央Gとして完全に煮つめられていないものもあるが、綱領確定にむけ、全同志の路線討論への主体的かかわりをはかる為に、一定の不十分性を残しつつ、討論基軸が確定し次第提起してゆくものもあると思う。
 権力の組織解体を目論む大弾圧、宗派革マルとの死闘戦の只中、組織展開の総点検(文書配布から会議のやり方までの全体)を行い、綱領討論をその中味にふさわしいやり方で貫徹せねばならない。

(以下、闘争スケジュール略)

(書記局通信・中原一執筆)
〔注〕
 ここに出ている「一月論文」は、全組織的にはこの通信以降に
〈7月10日付「RTA}に於て、「一、『組織論討論』の進め方」として「三論文→一月論文(討論を一段収約した基軸論文)→五十川論文→最終確定」と、そのプランを示した。ところで「一月論文」とは今年一月、中央Gで討論したものを収約したものであるが、一部書き直す必要があると判断し、更に討論中であることを明記して全組織討論にふそうと決定したものである。そして五十川論文(bP・2)は、それと共に個人責任論文として討論を要請すべく配布する予定であった(この点は前記の7・10付「RTA」に記した通りである)。ところが、「一月論文」の全組織的配布が、中央Gの担当責任者の手違いで配布されていない事が判明した。全同志に中央Gとして深く自己批判すると共に、この「一月論文」を「討論の基軸」として討論にふされんことを要請する。〉
との前書きと、
〈討論の過程で出ている以下の諸点を付帯する。(尚これは「RTA]7・10に記したものと同文である)〉
として、前記、「二、「組織論」をめぐる討論の過程で出ている諸点」の三点を付して、配布された。

 また、この通信中に出てくる文書は、それぞれ、
 「組織論」に関する「中央収約」=「強力な非合法―非公然能力をもって蜂起めざして進撃するプロレタリア革命党の建設を」(『中原著作集 第三巻』143P)
 日野論文(bP・2)=「総括と方針の機軸について」(同、453P)・「七〇年代中期における革命的飛躍のために」(同、489P)
 一月論文(討論を一段収約した基軸論文)=「非公然―非合法展開力をもって、蜂起―プロ独樹立を目指して進撃する革命的労働者党を建設せよ」(同、363P)
 革命戦略論に関する「中央論文」=「革命期におけるプロレタリア革命(派)の戦略問題」(同、309P)
 を指している。
 三浦論文、五十川論文については、いずれテキスト・データ化する予定。
 また、路線討論をめぐっては更にこの通信後の76年12月山崎論文(『滝口弘人著作集 第3巻』、47P)が提起されている。